東京地方裁判所 昭和46年(ワ)10813号 判決
原告 山本商事株式会社
右代表者代表取締役 山本晃弘
右訴訟代理人弁護士 石川博光
同 古瀬駿介
同 山田勝昭
被告 佐藤弥之助
右訴訟代理人弁護士 高橋秀雄
同 和田良一
主文
一 被告は原告に対し、金三、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四六年一二月一二日から完済まで年六分の金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを五分しその四を原告、その一を被告の各負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
被告は原告に対し、金二〇、一二三、五三六円およびこれに対する昭和四六年一二月一二日から完済まで年六分の金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
仮執行の宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
(一) 原告は土木建設機械の製造販売を業とする。
(二) 原告は昭和四二年八月一五日頃、田母神瑞昭との間で継続的な土木機械類の販売契約をし、これに基づき同人に対し次のように土木建築機械等(小型切断機、足場パイプ、水中ポンプ、防災シート、手捲ウインチ、プレハブ、ヘルメット等)を売り渡した(運賃は買主の負担)。
1
昭和四五年一〇月二一日~昭和四五年一一月二〇日
二、〇二〇、一六五円
2
昭和四五年一一月二一日~昭和四五年一二月二〇日
二、七八四、七六八円
3
昭和四五年一二月 二日~昭和四六年 一月二〇日
三、五三九、四五一円
4
昭和四六年 一月二一日~昭和四六年 二月二〇日
一、四六四、三一〇円
5
昭和四六年 二月二一日~昭和四六年 三月二〇日
一、五〇七、〇六〇円
6
昭和四六年 三月二一日~昭和四六年 四月二〇日
三、二五七、九五〇円
7
昭和四六年 四月二一日~昭和四六年 五月二〇日
一、七九五、八七九円
8
昭和四六年 五月二一日~昭和四六年 六月二〇日
一、九二〇、〇七六円
9
昭和四六年 六月二一日~昭和四六年 七月二〇日
二、一一四、一六九円
10
昭和四六年 七月二一日~昭和四六年 八月二〇日
六七四、三九〇円
11
昭和四六年 八月二一日~昭和四六年 九月二〇日
五三五、三八〇円
12
昭和四六年 九月二一日~昭和四六年一〇月二〇日
一三九、六八七円
13
昭和四六年一〇月二一日~昭和四六年一〇月二九日
三三九、六六〇円
合計
二二、〇九二、九四五円
(三) 右代金の弁済期は、毎月二〇日〆で、当月分を六ヶ月と五日先に支払う約束(翌月二五日に五ヶ月先満期の自己振出手形を交付し、または他人振出手形に裏書をして交付する方法による)であった。
(四) 被告は昭和四二年八月一五日、原告に対し、田母神と原告との右取引によって田母神が原告に対して負担する買掛金債務一切を保証することを約した。
(五) よって、原告の田母神に対する前記売掛金中、(二)1のうちすでに弁済を受けた一、九六九、四〇九円を差引いた残額二〇、一二三、五三六円とこれに対する昭和四六年一二月一二日(訴状送達の翌日)以降完済まで年六分の遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因事実の認否
請求原因(一)の事実は認める。同(二)、(三)の事実は不知。同(四)の事実中、被告が保証を約したことは認めるが、保証の限度は否認する。二、〇〇〇、〇〇〇円の限度で保証をしたにすぎない。
三 抗弁
仮に被告が田母神の原告に対する取引上の債務一切を保証することを約したと認められたとしても、その保証はいわゆる信用保証であるから、被告の責任限度額は二、〇〇〇、〇〇〇円に限定されてしかるべきである。
すなわち、本件保証契約による責任の限度額を考えるに当っては次のような事情が斟酌されるべきである。
(一) 本件保証契約をなすに当っては、被告は田母神瑞昭および同人の父田母神寂昭から依頼を受けたもので(原告代表者とは逢っていない)、取引は二、〇〇〇、〇〇〇円以内であるとの説明を受けた。
(二) 被告は田母神瑞昭とは全く面識もなく、昭和四〇年末頃同人の父寂昭と易を通じて知り合った程度で、月に一、二回同人の易断所を訪ねていたという間柄にすぎない。他方、田母神瑞昭はもと原告の従業員で、しかも原告は四年余にわたって同人と取引を続けていたのであるし、同人の仕入れの七割位は原告からのものであるというほど密接な取引関係にあったから、原告は田母神瑞昭の信用状況、資力等を熟知していたはずで、同人の資力、信用状況を著るしく超えて取引を継続したことに過失があった。
(三) 原告と田母神瑞昭との取引額は、昭和四二年八月の取引開始当初は月間平均九八〇、〇〇〇円余、同四三年五月以降同一、二七〇、〇〇〇円余、同四四年五月以降同一、八〇〇、〇〇〇円弱、同四五年五月以降同二、一七〇、〇〇〇円余、同四六年五月以降同一、一二〇、〇〇〇円余となっている。
(四) 代金の弁済期も、原告のいうような明確なものではなく、原告のいうほど多額の債務が累積するものとは考えられない。
四 抗弁事実の認否
争う。
被告主張のように、責任の限度につき合理的制限を加えられるべきであるにしても、原告は被告に対し、保証契約に当って、田母神瑞昭との取引が月額最低三、〇〇〇、〇〇〇円程度には上ることを説明しており(荒利益率は一五~二〇%であるから、月々六~七〇〇、〇〇〇円の荒利益を得るには少なくとも三、〇〇〇、〇〇〇円の取引は確保しなければならない)、弁済期まで六ヶ月としても、その間の売掛金は一八、〇〇〇、〇〇〇円を下らないから、保証責任の合理的範囲は少なくともこれを下らないというべきである。
第三証拠関係≪省略≫
理由
一 請求原因(一)の事実は当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によると、請求原因(二)の事実を認めることができる。
なお、田母神瑞昭の原告に対する売掛金残額については、原告が自認して請求額から控除する請求原因(二)1のうちの弁済受領額一、九六九、四〇九円のほかにも、一部すでに弁済されている金額があるのではないかと窺える証拠もないではないが(≪証拠省略≫によると、残債権は一六、〇〇〇、〇〇〇円余という。もっとも、その計算根拠は明らかでない。)、この点については被告の抗弁であるところ、なんらの主張もないから判断しない。
二 被告が昭和四二年八月一五日に、田母神と原告との土木機械類の取引による田母神の債務を保証することを約したことは当事者間に争いがなく、被告の記名捺印部分の成立に争いがないから、≪証拠省略≫によると、保証限度額については特に限定する旨の合意はなかったと認められる。≪証拠省略≫によっても、被告は二、〇〇〇、〇〇〇円を保証限度額と考えたというに止まり、右推定を覆すには足りないし、また、とくに限度額を二、〇〇〇、〇〇〇円とする明確な合意があったというものでもない。
三 抗弁につき判断する。
被告の本件保証契約が、原告と田母神瑞昭との継続的取引によって生ずる債務の保証であって、いわゆる信用保証の性質を有するものであることは、原告の請求原因事実自体から明らかである。そして、このような保証にあっては、保証契約においてとくに保証の限度額を限定する約定がなくても、保証人の責任は無制限ではなく、保証契約締結に至った事情、債権者と主債務者との取引の態様、経過、債権者が取引に当って債権確保のために用いた注意の程度(主債務者の資力、信用状態の把握等)等一切の事情を斟酌して保証人の責任限度額に合理的制限を加えるのが相当であると解される。
そこで、本件において被告の負担すべき責任の限度につき検討する。
(一) まず、保証契約締結に至った事情についてみるに、≪証拠省略≫によると、被告は田母神瑞昭とは当時全く面識もなかったが、同人の父である田母神寂昭に時々易を見てもらっており、同人から頼まれて本件保証を引き受けるようになったことが認められ、≪証拠省略≫によると、被告は、本件保証当時、金型製造販売等を業とする東都ダイカスト工業有限会社(資本金三、二三〇、〇〇〇円、後に昭和四三年一二月資本金五、〇〇〇、〇〇〇円、同四五年五月同名の株式会社設立)を経営していたが、同社の利益は年間一、五〇〇、〇〇〇円ないし四、二〇〇、〇〇〇円程度と認められ、このことからすると、被告としても一〇、〇〇〇、〇〇〇円を越すような債務の負担能力には疑問があり、少なくともそれまでほとんど面識すらない田母神瑞昭のために、このような多額の保証債務を負担する結果になることは予想もしておらず、せいぜい二~三、〇〇〇、〇〇〇円程度の負担を覚悟していたにすぎないと推認できる。原告代表者は、本件保証契約に際しては、自から被告に面談して、田母神瑞昭との取引は一ヶ月三、〇〇〇、〇〇〇円程度で、五ヶ月位先の手形決済であることを説明して諒解を得た、旨供述するが、右のような取引額を説明したとの点は、後に認定する((二)参照)実際の取引額と対比して信用できない(なお被告本人は、原告代表者とは面談したこともない)、と供述するが、この点はいずれの供述が真実であるか決め手がなく明確な心証を得るに至らない)。
(二) 次に、原告と田母神瑞昭との取引の経過につき検討するに、≪証拠省略≫によると、原告と田母神瑞昭との取引は昭和四二年八月二九日に始まり、同四三年五月三一日までの一ヶ月平均取引額は一、〇〇〇、〇〇〇円弱(少ない月―この場合毎月二一日から翌月二〇日までの期間をとる。以下同様である。なお昭和四二年九月二〇日までは中途から取引が始まっているので除く―で五五〇、〇〇〇円弱、多い月で一、五〇〇、〇〇〇円余)、同四三年六月一日から同四四年五月三一日までの一ヶ月平均取引額は一、三〇〇、〇〇〇円弱(少ない月で五〇〇、〇〇〇円弱、多い月で二、六五〇、〇〇〇円余)、同四四年六月一日から同四五年五月三一日までの一ヶ月平均取引額は一、八〇〇、〇〇〇円弱(少ない月で七〇〇、〇〇〇円弱、多い月で三、一五〇、〇〇〇円余)、同四五年六月一日から同四六年五月三一日までの一ヶ月平均取引額は二、二〇〇、〇〇〇円弱(少ない月で一、一五〇、〇〇〇円余、多い月で三、二五〇、〇〇〇円余)、同四六年六月一日から取引終了の同年一〇月二九日までの一ヶ月平均取引額は一、一〇〇、〇〇〇円余(少ない月で五五〇、〇〇〇円弱、多い月で二、七〇〇、〇〇〇円余―九月二一日以降は除く)となっており、取引終了に至る前二―三ヶ月を除くと、取引額は漸増してきていること、全期間を通じての一ヶ月平均取引額は一、五五〇、〇〇〇円弱となっていることが認められる。また、≪証拠省略≫によると、代金の決済は田母神瑞昭が自から約束手形を振り出し、または他人振出の約束手形に裏書して原告に交付する方法で行なわれていたこと、および右代金の決済は毎月二〇日〆で計算し、原則としてその翌月中に手形を振出しまたは裏書交付していた(時には早く、あるいは一部遅れて翌々月に廻る分もあったことが認められるが、ほゞ翌月中に決済のための手形が交付されている。たゞし日は一定しない)ことが認められる。しかしながら、右≪証拠省略≫によると、手形の満期はかなりまちまちで、五~七ヶ月先程度のものが多いが、ことに取引当初は短いのは二~三ヶ月先、長いものは一年数ヶ月も先に、しかも金額を細かく分割しており、統一的な取扱いがなされていなかったことが窺える。
(三) 次に、原告と田母神瑞昭との関係をみるに、≪証拠省略≫によると、田母神瑞昭はもと平塚山本商事(原告が資本金の一部を出資している会社)に勤務していたが、昭和四二年八月末から独立して土木建設機械の販売業を始めたこと、原告から仕入れる量が八割位を占めていたこと、個人営業であったが平塚に事務所を置いて「湘南山本商事株式会社」の名称で取引をしていたこと、従業員も最盛期で四名位でごく小規模な商店であったことが認められ、また、原告代表者の供述によると、とくに田母神瑞昭の信用調査もしておらず、資力も乏しく、業界での経験も浅いことは判っており、保証人の資力に期待するという状況であったことが認められる。
(四) 以上認定の事実に照らすと、原告が田母神瑞昭との取引を増大し、二〇、〇〇〇、〇〇〇円を超す売掛金を数えるに至って多額の未回収分を残すに至ったについては、田母神瑞昭の信用度、資力、営業状況の把握に欠けるところがあり、決済方法がいかにもルーズであったことにも原因があることは否定できず、保証人の責任限度額はまずこの点を考慮して、原告と田母神瑞昭との当初の平均取引額一ヶ月一、〇〇〇、〇〇〇円の六ヶ月分(前認定のように、最終弁済期はまちまちであるが、比較的多く行なわれていた期間によると六ヶ月程度と考えてよく、この程度の決済期間を保証人が予期することはさして困難でないと考えられる)に当る六、〇〇〇、〇〇〇円を超えないと認めるのが相当である。そして、さらに、被告が本件保証契約を締結するに至ったのは、決して利益を追及した結果ではなく、逆に知り合いから頼まれて情義的に引き受けたと認められること、被告としては二~三、〇〇〇、〇〇〇円程度の債務の負担を予想したのも決して無理からぬ事情にあったと考えられること、等を考慮すると、右の額を更に半額に減額し、被告の責任額は三、〇〇〇、〇〇〇円を限度とするものと認めるのが相当である。
抗弁は右の限度で理由があり、原告の請求中右限度を超える部分は失当である。
四 遅延損害金につき判断する。
被告の保証人としての責任限度額を三、〇〇〇、〇〇〇円とした場合、弁済期につき原告に最も有利なはずの部分、すなわち原告が主張する売掛金債権中早く発生した部分から三、〇〇〇、〇〇〇円に充つるまでの部分につき弁済期を判断するのが相当であるから、この点をまず確定する。
すでに認定したように(二参照)、原告の田母神瑞昭に対する売掛金の月別内訳は次のとおりである。
1 昭和四五・一〇・二一~一一・二〇 二、〇二〇、一六五円
2 〃 四五・一一・二一~一二・二〇 二、七八四、七六八円
3 〃 四五・一二・二一~四六・一・二〇 三、五三九、四五一円
右1のうち原告の自認する弁済受領額一、九六九、四〇九円を差引くと、本訴において請求する額は1につき五〇、七五六円であるから、これと右2の二、七八四、七六八円および右3のうち責任限度額三、〇〇〇、〇〇〇円に充つるまでの一六四、四七六円につき弁済期を判断すれば足りる。
≪証拠省略≫によると、右1の売掛金については、昭和四五年一二月二一日および同年同月二九日に、いずれも満期を同四六年八月一七日とする約束手形が原告に交付されている(金額合計が右1と一致する)ことが認められるから、昭和四六年八月一七日が弁済期と認められる。右2、3の売掛金については、≪証拠省略≫を検討しても、どの手形がそれぞれの売掛金に対応して交付されているのかは明らかでない。しかし、≪証拠省略≫によりその取引〆切後に原告に交付された約束手形のうち各月分の売上金額に明確に対応する金額の手形を除外して、適当な金額で交付されていると認められる約束手形を順次捨って行くと、昭和四五年一二月二九日交付の金額五〇、〇〇〇円(満期同四六年六月三〇日)、および金額四七〇、四〇〇円(満期同四六年六月から同年一一月まで各月一五日計六通)、同四六年一月二九日交付の金額二、〇〇〇、〇〇〇円(満期同四六年五月から同四七年二月まで各月二八日計一〇通。一通の金額各二〇〇、〇〇〇円と推認される。≪証拠省略≫がこれに当ると思われる)、同四六年二月二〇日交付の金二、〇〇〇、〇〇〇円(満期同年九月一八日)があり、これらを満期ごとに順次先に生じた前記2、3の売掛金の弁済期として行くと(ただし前記二〇〇、〇〇〇円の手形中、満期が昭和四六年一二月一五日以後になる三通合計六〇〇、〇〇〇円を除く)、前判示の被告の保証責任限度額の売掛金部分の弁済期は遅くとも原告の請求する遅延損害金の起算日たる昭和四六年一二月一二日までには到来していると認めることができる(このような方法が残された唯一の弁済期の認定方法と考える。この認定によると、毎月二〇日〆切後六ヶ月と五日後が弁済期であるとの原告主張より有利な認定はなく、弁論主義に反するところもない。なお、右に掲げた手形については≪証拠省略≫と対応しないものがあり、≪証拠省略≫とあわせると、あるいはすでに決済されているものもあるかもしれないが、この点は前にも触れないように、被告が弁済の抗弁を主張していないから、判断しない。)。
五 結論
以上判断したとおりであるから、原告の本訴請求は、被告に対し三、〇〇〇、〇〇〇円とこれに対する昭和四六年一二月一二日から完済まで年六分の遅延損害金の支払を求める限度で正当として認容し、その余を失当として棄却する。
(裁判官 上谷清)